今日、「旧永源寺庁舎お別れのつどい」が開催されました。
昭和46年に建設された旧永源寺庁舎です。
今年4月に永源寺支所を産業会館に移転し、今は使われていません。
40年以上前に建てられたものなので、耐震基準にみたないため取壊しが決定しています。
本日、旧永源寺庁舎お別れのつどいが開催されました。
当時、町長だった川嶋さんが挨拶をされ、その後定礎開封です。
定礎の蓋(看板?)が取り外され、中から何か出てきました。
箱の中には、封筒に入った文書類が入っていました。
一つは、「庁舎建設の起因」と書かれたものです。
以下、書き出します
昭和二十四年農業用水を目的として計画された愛知川ダムが、水没反対の阻止にあって二十余年、永源寺ダムとその名も変わり、水没者の個人保障も完了した昭 和四十五年、町との間に成立した公共補償四千万円(国二千万円、県二千万円)がもとで庁舎建設が発案され、総工費一億円をもって○○ 監理田中小西建築事 務所 施工株式会社土屋組 により昭和四十五年十二月起工したものである。
昭和四十六年五月
町長・・・・
その他、当時の米相場、硬貨がおさめてあります。
皆さん、興味深そうに見つめていました。
11月から取り壊されるようです。
永源寺から公共施設がまた一つ消えていきます。
跡地をどのように利用するか、まだ決まっていないようですが、地域振興に役立つようなものができることを期待しています。
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