諸々の理由で、今まで一緒に暮らしてきた認知症のおばあちゃんは、先月施設入所となった。
デイサービスに行かない日は、いつも日中は家で一人でいるおじいちゃん。
朝、起きてカレンダーを見ると大きく「往診」と書いてある、これを見てから朝から落ち着かなかったようだ。日記には書かれていないが、往診に来る医者のために座布団を10枚以上ちゃぶ台の周りに敷き詰めたり、紅茶を水が蒸発するほど湧かして待っておられたようだ。
しかし、自分自身の気持ちや行動を論理的に説明することはできないおじいちゃん。
その気持ちはいくばくか・・・・
(当日の日記のみ書き起こします。)
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11日(月曜日)くもりがち 無風 涼し
6:00起床(省略)朝から色々考えるとなんとなく気が落ち着かない
じたばたしてもしかたがないのに気があせってどうしようもないノイローゼじゃ
ないかと心配になるがなんとか気が落ち着かないものだろうか?もう夕方
に近くなったと思って●往診のしたくをしていたらまだ午前11:00??全く
ボケもひどくなって来たものだ。しかし天気はよくないし外のしごとは雨が降
っているので出来ないし、むりにでもねているのは●●●たいくつなこと
この上なしだ。13:07頃ものすごい大雨が降ってそこらあたり大みづが
流れていた。そのあとも空の雲行きがすっきりしない。夕方からは空が
晴れて来た。あしたは多分よい天気だろうと思う。
******************************認知症の方の記憶というものは、ある日突然なくなってしまうわけではない。
傍でみていると、少しずつ、そして止まることなく記憶が抜け落ちていくようだ。
それを自分自身で自覚しながら、だんだんと日常生活に支障がでるようになってくる。
周りの人が怒ったり咎めたりしても、なかなか記憶を呼び戻すことはできない。
本人が努力しても、記憶の引き出しがどこにあるのかも見失っているようだ。
もちろん、周りの人が無視をすれば、寂しいという気持ちは忘れない。
記憶がもとどおりに治らなくても、自分の存在を認めてほしいと願っている方がどれほど多いことか。
そう、我々がやるべきことは認知症という病気を治療することだけでなく、その人の存在を認めること、認めてくれる仲間がたくさん居ること。
認知症になっても安心して生活できるような場(地域)であれば、たとえ認知症が治らなくても幸せに過ごすことができると信じている。
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