2014年4月1日火曜日

糸賀一雄生誕100年 記念誌 に寄稿させていただきました。

先日、糸賀一雄生誕100年記念事業の一環として、記念誌「生きることが光になる」が発行され、私も、寄稿させていただきました。



「生」を支える

「はよう、まいらしてほしいわ」
私が外来をしていると、よくこのようなことを言われる。「早く死にたい」という意味の言葉なのだが、なぜか皆さん笑っておられる。そして、次の診察の時にはとれたての野菜を持って「先生食べてちょうだい」と笑顔で差し出される。病院から診療所に赴任した時、私はそのような元気な方が、なぜこのような言葉を言われるのか理解できなかった。今から思うと自分は患者さんの病気しか診ていなかったのかもしれない。

医学は進歩し多くの病を治せる時代になった。患者さんの中には不老長寿も夢でない時代がくるのではないかと思っている人もいるかもしれないが、「老い」を治す方法すら見つかっていないのも事実である。人の一生を考えてみると、ほとんどの人には「生・老・病・死」がある。言い換えると、「病」だけではなく、「老」や「死」も含めて人生のはずなのだが、私たちは現代の生活の場面から「老」や「死」を遠ざけすぎてはいないだろうか。たとえば、おじいちゃんの具合が悪くなり入院し、その後施設へ移り、そこで息をひきとった後は葬儀場へ直行、、、こんなことはよくある光景かもしれない。しかし、それで残された子や孫達におじいちゃんが「生きてきた」光景は残っているのだろうか。
医師の仕事は「病」を診断し治療することである。しかし、時として「病」や「老」あるいは「死」に対して目を背けることができない場面が訪れるのも事実である。しかしこれらは決して辛いこと、悲しいことばかりではない。裏を返せば、老いや病あるいは障がいを抱えていても人々が一生懸命に「生きる」という場面でもある。
「はようまいらしてほしい」という言葉には、老いや病があっても元気に生活をしたい、住み慣れた地域で安心して生活をしたいという自分らしい「生」への願いが込められているように思う。「生きるよろこび」というものは、本来ものすごく単純なものなのかもしれない。

永源寺にきて、いろいろなことを地域の皆さんに教えてもらった。地域のつながりやお互いを思いやる気持ち、そしてなにより私自身が地域の人達に支えられていると感じている。せっかくその地域に住むのであれば、私なりにできることをその地域に還元し、地域の人達皆の笑顔を見てみたいと思う。結果として、障がいをもった人も認知症の高齢者、病と闘っている人、そして子ども達も皆がお互いに思いやり、支えあい、安心して生活できる地域になればと思う。医療を通じて自分がこの地域でできること、それはこの地域で医療を行うことだけではなく、医療を通じた「まちづくり」ではないかと思う。


大きな病院ではできないことでも、地域であればできることがあると信じている。

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