所用により、授賞式には参加できませんでしたが、コメントを出版社の方に届けていただきました。
受賞のよろこびと同時に、関係各位に感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。
受賞スピーチ
このたびは、第11回生協総研賞特別賞に選出いただき、誠にありがとうございます。せっかくの授賞式ですが、私用により参加できないこと、心よりお詫び申し上げます。
今回、このような名誉ある賞を受賞することができたのも、私の文章の評価というよりも、國森さんの写真はもちろん、出版社である農村文化協会さま、そして書籍に登場していただいた永源寺地域の皆様のおかげと感謝しております。
思い返すと、私が永源寺診療所に赴任したのが、今から17年前。当時、大きな病院から赴任した若かりし私は、自らの力で目の前の患者さんの病気を診断し、全てを治療するのだ、と鼻息荒くやってまいりました。しかし、日々、診療所の外来で診療している中で「病(やまい)」は診断できたとしても、治らない病気もある。ましてや老いや死の前では、医学の力はいかに無力であるか、まざまざと見せつけられる毎日でした。
ところが、診療所の外来に来られる患者さんたちは、病や老を抱えながらも、私の話を聴いてもらえるだけで、満足して帰っていかれる。そんなお年寄りたちの後ろ姿を見ながら最初は戸惑いました。「この人たちは、何のために診療所に来ているのか? 治療するために来ているのではないのか?」と。やはり、「病気」しかみていなかったのです。
しかし、病気を診るだけではなく、「その人の生活をみよう」「人生を最期までみとどけよう」、そして地域の人たちの思いを叶えるために「自分自身が変わろう」、そう思うようになると、患者さんの話をたくさん聴くようになりました。
最近では、患者さんと病気の話以外にも、生活のこと、仕事のこと、家族のこと、そして、これからの人生のことなどを話すようになりました。とくに、これからの人生のこととは、ご飯が食べられなくなった時のこと、自分の人生の最終章をどのように迎えたいか、そんなことを話すことができるようになりました。
外来に受診したおばあちゃんに、「ご飯が食べられへんようになったら、どうする?」と私が尋ねると、おばあちゃんは笑いながら、「やっぱ最期まで、先生に診てもらいたいわ」と返される。私は、「お迎えが来そうになったら教えてあげるから、それまでは畑をがんばりや」・・・と、そして「もし、ご飯が食べられなくなったら、私が往診して、最期まで診るよ」そう約束することができるようになりました。今流行りのエンディングノートを書けなくても、ご自身の人生の最終章をどのように迎えたいか、皆さん、真剣に、そして思慮深く語ってくれます。
死を語り合うことは決してタブーではない。本人の希望を叶えるため、いざというときに家族が迷うことがないように必要な対話である、そう確信を持ちました。
永源寺に来て、いろんなことを地域の皆さんに教えてもらいました。地域のつながりや互いをおもいやる気持ち、そして何より私自身が地域の人たちに支えられていると、感じます。
自分が、この地域でできることは何かと考えた時、地域で医療を行なうということだけではない、医療を通じた「まちづくり」「地域づくり」ではないかと思います。せっかくその地域に住むなら、自分にできることをその地域に還元したい、地域の人たちの笑顔をもっと見てみたい、そう思います。
結果として、障がいを持った人も認知症の高齢者も子どもも、皆が互いにおもいやり、支えあい安心して生活できる地域になればと思います。
大病院ではできないことも、地域ならできることがある、そう信じています。
この本が、日本の地域共生社会の一つのモデルを示すことができれば幸いです。
このたびは、本当にありがとうございました。
平成29年12月1日
東近江市永源寺診療所
花戸 貴司
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