透析を中止して亡くなられた方のニュースが流れています。
人生の最終章を迷いなく迎えられる人っているのでしょうか?
本人はもとより、家族、親戚、親しい人、そして医療や介護にあたる者は悩み、気持ちが揺れることはしばしば経験します。
でも、悩むことって悪いことでしょうか?
常に医学的に正しい決断を下さなければならないのでしょうか?
医学の進歩とともに、多くの疾患に対してガイドラインが示されるようになりました。ガイドラインは、現在の医学で正しい医療情報、つまり教科書のようなもので、今は多くの医療者がガイドラインに沿って仕事をしています。
しかし、医学的に正しいことがその人の人生にとって、最も幸せをもたらすかというと必ずしもそうではありません。現場では、認知症やがん、老衰など、医療と生活を天秤にかけてどちらを選ぶかという場面にしばしば遭遇します。
話を戻します。
病気の治療のみならず、人生のあらゆる場面で決断が迫られます。
しかし、各々に対する答えは一人一人違うものであり、場合によっては答えのだせない、悩み続けることもあって当然なのです。
本人のことを思えば思うほど、悩んで当然なのだと思います。
でも本当に大切なのは「難しい問題である」と親身なふりをして背を向けるのではなく、答えがでないかもしれませんが共に命に向き合うこと。つまり、対話を重ねることだと思います。
今回のニュースで「これで本当に良かったのだろうか?」と悩んでいる家族の気持ちを聴くこと、寄り添うことが必要なんじゃないかなぁ。
死をタブー視するのではなく、向き合うこと。すると自ずと生が輝く場面に出会うことができると思います。
今、透析を続けている人も、しないと決断した人も、それぞれの人生があります。
我々ができることは、目の前の人たちに寄り添い、対話を重ねることなんだろうと思います。
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