2015年2月7日土曜日

「住み慣れたまちで安心して最期を迎える」住民のつどい

本日、近江八幡にて標記のシンポジウムが開催されました。私はシンポジストとして参加させていただきましたが、一緒に登壇していただいたご家族のKさんのコメントがとても印象的でした。
ここにKさんの言葉を紹介せていただきます。

この集会を企画していただきました関係の皆さま、ありがとうございました。



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看取り介護を終えて

細井先生との出会いは6年前になります。実の母がホスピス病棟でお世話になりました。最後は緩和ケアと決めていましたので、ホスピスに入院するまでの間を花戸先生に在宅医療でお世話になりました。ホスピスで私達は今までとこれからの分を凝縮するかのように、毎日母と一緒にご飯を食べ、語らい、特別な時間を過ごしました。がん患者にとって一番辛いのは死を受け入れることです。そして心が一番楽になるのも死を受け入れることでした。母は死を受け入れ、私達は母を見送りました。母は苦しむことなく孫達に手を取ってもらって穏やかな最後を終えました。私は最愛の人にもかかわらず母が亡くなってからも悲しみはなく、不思議と今も何処かで元気にしているのではと思えるのです。お二人の先生との出会いは主人の父の看取り介護をしたいと思った大きな影響となりました。
父は以前から認知症の症状があり、デイサービスを利用していました。その日も毎日と同じように車椅子を押しながら家の中を歩いていたのですが、転倒してしまいました。病院で大腿骨骨折の手術を受け手術も成功し、そして3か月が経とうとしていました。私達は次の選択をしなければなりません。主人も弟も私に介護をしてほしいとは言いませんでした。でも、私が介護をしないと言えば、父は二度と家に帰れなくなる。それは後々私自身が後悔するに違いないという思いはいつもありました。私は答えを探していました。どうしたらいいのだろうと。私は病院へ毎日のように父を見に行ったのですが、父は見放されたと思っているかのように声をかけても目をつむったままでまったく反応がありませんでした。ご飯を食べようとしない、聞かれても答えようとしない、目も開けようとしない。そんな時間が続きました。
ある日、私は「おじいちゃん、家に帰ろうか?」と気が付けば父に聞いていました。その瞬間父は大きく目を開いたのです。その時私は自宅で介護をすることをやっと決心できたのでした。「でも家に帰るにはご飯を食べなあかんよ」と私は言いました。次の日から私は自宅で介護をするためのオムツ交換・体位変換・食事・吸引の仕方などの退院指導をお願いしました。「おじいちゃんご飯食べようか?」というとそれまで口を開けようとしなかったのに毎食完食をするようになったのです。
それから自宅介護を選択した私は、花戸先生に強引に頼み込み主治医をお願いしました。母が往診に来てくださる先生を楽しみに待っていたこと「最後まで花戸先生にみてほしい」といっていた事を思い出し、自宅で介護をするなら花戸先生の力を借りたいと思いました。そしてケアマネージャーさんの紹介で訪問看護ステーション「みのり」さん、又お風呂は田中ケアサービスさんも力を貸してくださることになり、(大丈夫私はできる)と思ったのです。
 最初は確かに不安もあったのですが、すぐにその不安は消えました。先生・訪問看護ステーションさんの連携は強く、困った事があれば夜間でも相談できる体制をとってもらいました。訪問看護士さんにはいつも聞いていました。尿の色が変だったので見てもらえますか?誤嚥はしてないでしょうか?と色々な質問をしてもすぐに的確な答えをもらって不安は安心へと変わっていきました。
 又、父は先生が来てくださると元気な顔になり、帰られる時は自分から手を出して握手を求めるようになりました。頑固な父がみせた精一杯の感謝の気持ちでした。父はそれからずいぶんと元気になりました。エアマットから介護用マットへ、吸引も必要なくなり、食事も自分で取れるようになり、話をすると「そうかあ」と答えてくれるようになりました。そして嬉しい事がもう一つありました。ひ孫が生まれたのです。ひ孫を見ると顔がほころび、ベットの上で抱っこも出来ました。父は生きるための元気をもらいました。私はこのまま元気でずっと過ごせるのではと思っていました。
 しかし、おととしの夏は猛暑でした。父はその暑さに体力を奪われ、ある日を境に急に衰弱してしまいました。先生は点滴をどうしたいか?を私達に問われました。点滴は選択肢なのだとその時初めて知りました。私達は延命だけの点滴はやめることにしました。父
の持っている力で最期を迎えてくれることを望んだのです。又私は介護していく中で出来る事なら看取り介護をしたいと思うようになりました。父の最後を自宅で迎えさせてあげたい。機械ではなく最後まで父の顔をみて看取りたいと思いました。
 そして…最後の時はゆっくりと来ました。かつて母がそうであったようにゆっくりと最後の深い一呼吸で父は永遠の眠りにつきました。おばあちゃんと主人と私の見守る中で静かに息を引き取りました。83才の大往生の人生でした。
 自宅介護は、大変だとみなさんは思われるでしょうが、実は大変だと思ったことがないのです。介護は一人でしているわけではないといつも感じていたからです。先生や訪問看護師さん・ケアマネージャーさんが全力でサポートして下さるし、食事も忙しい時にはベビーフードに助けてもらおうとか、夜と朝のオムツ交換は主人の助けもありましたし、父も一生懸命自分のベットの柵をもって私を助けてくれました。最初はあまりに下手で父も見ていられなったかも知れません。随分と「おじいちゃんヘタクソでごめんよ」と言っていた気がします。『介護は明るく!』を私はいつも自分自身に言い聞かせていました。
 一番悩んだのは、病院に入院していても3ケ月経てば今後どのようにしたいかの返事をすぐに求められる事です。父は認知症を患っていましたので、父の意思で最期をどのように迎えたいかを知る機会はありませんでした。最後は何処で迎えたい?どうしてほしい?という事を日頃から家族で話してておられるといざという時に納得いく決断が出来るのではないかと思います。
 最後に自宅で介護をしてよかった。と思った事がありました。私にとって姪っ子にあたりますが、この子は時間が出来ると父の様子を見に来てくれました。時にはご飯を食べさせてくれて私の手助けをしてくれました。父と最後の別れの日、私達は父宛にメッセージを書いたのですが、姪っ子は『おじいちゃん、いってらっしゃい!』と書いてくれました。おじいちゃんは旅立ったと感じてくれたのでした。父が旅立ってから一年半が経ちました。私達は父の話になると「おじいちゃん、元気かなあ」といいながらいつも笑っています。

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当地域の活動が南日本新聞に掲載されました

6月8日、鹿児島県の地方紙 南日本新聞さんに当地域の活動を紹介していただきました。 田舎の地域での細々とした活動ですが、地域だからできることを発信していければと思います。