2012年1月3日火曜日

地域で安心して過ごすために



あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

さて、正月はというと執筆依頼の原稿があり、まとめていました。
3月に発行される滋賀県人権センターからの依頼分を書いてみました。
それ以外にも1月に講演+シンポジウム依頼、2月には2件の講演依頼があり忙しい・・・
今年も頑張りますので、よろしくお願いします。

(以下、原稿案)
永源寺診療所の一日
 朝、7時になると診療所の玄関を開けるのが私の1日の仕事の始まりだ。玄関の前では、6時過ぎより待っている患者さん達がいる。子どもが昨日から熱がでている、おばあちゃんの診察の順番を取りに来た、孫が会社に行く途中に送ってきてもらった人など・・・朝から診療所の待合はにぎやかだ。
 待合の声に耳を傾けると、「○○さんが、往診してもらって家で亡くならはった。今日がお通夜らしいわ」との声。そう、昨夜自分が在宅看取りをした患者さんのことが話題になっている。この地域では、年老いて介護が必要になっても、食事が摂れなくなっても、最期まで家に居たいと希望される人がほとんどである。また、家族や地域の人も、それが当然のことのように受け止めている。
 診察が始まると、一人のおばあちゃんが娘さんに連れられて入ってきた。おばあちゃんは「先生、畑に行くことが楽しみやったのに、この前から行けへんようになってしもうた」とこぼしているが、それほど困った様子ではない。娘さんに聞くと家では洗濯物をたたんだり、裁縫など自分の役割がちゃんとあるそうだ。診察を終え、私が「おばあちゃん、もし、ご飯が食べられへんようになったらどうする?」と尋ねると、おばあちゃんは「先生、このまま家に居たいんやけどええかな?」私も「何かあったら連絡してください。往診にも行きますよ」と応える。おばあさんは深々と頭を下げ、娘さんは後ろで笑いながら「よろしくお願いします」と。
 午後からは、訪問診療の時間にあてている今日は、全身の筋肉が萎縮する難病、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の女性と1歳になる先天性心疾患の子の訪問。私の訪問は1~2週間に1回で、それ以外の在宅生活は、訪問看護師さん、ヘルパーさん、行政の方、薬局さん、そして家族の方に支えられている。病院にいるよりも家にいる方が、とても幸せそうだ。永源寺診療所では、現在、在宅患者さんは78名の方を定期的に訪問している。年齢は1歳から98歳まで幅広く、多様な疾患に対応している。希望されれば看取りまで対応させてもらっているが、年間約25名の方の看取りを行っている。


 永源寺に赴任して
 この永源寺診療所に赴任して、もうすぐ12年が経とうとしている。それまでは総合病院で小児科を中心とした研修を行い、病院での生活が中心だった。病院勤務時代は二人体制の小児科で年間365日、毎日がオンコールという生活を過ごしてきた。その頃は「ここの小児科は俺に任せろ」との意気込み(おごり?)で病院に泊り込むことも日常だった。文字通り肩で風を切るような医者であった。たくさんの病気を診ることがとても楽しく、また、それを治療することに充実感を覚えた時期でもあった。しかし、診療所に赴任し時間の流れが変わった。そして医療における自分のスタイルが変わった。子どもだけではなく、お年寄りをみる機会が増えた。病院勤務時代には少なかった病気以外の話をすることが多くなった。話を聴いてもらえるだけで、満足して帰ってくお年寄り達の後ろ姿を見ながら当初は戸惑っていた。「この人達は、何のために診療所に来ているのか?治療するために来ているのではないのか?」今から考えると自分が診療所で何をすればいいのか、わかっていなかったと思う。
 自分が診療所で何をしたいか?けして目標がなかったわけではない。自治医大を卒業し、「滋賀県の地域医療に貢献したい」と志をもって医師になった。「もっと働きたい、もっとたくさんの患者を診たい」との気持ちがあった(もちろん、今でもその気持ちはある)。が、夢と現実はほど遠いものである。その気持ちを伝える人が少ない、言っても聞いてくれる人がいない。もちろん聞いてくれる人もいたが、自分の思い通りにはならない。もどかしい日々が続いた。
 しかしある時、「地域医療は診療だけではない」ということに気づいた。診療所の看護師とともに健康教室を開いたり、学校や幼稚園でも講演会もした。お年寄りの会合にも出席した。地域の祭などにも参加した。病院勤務時代にはない経験であった。しかし、診察室で座っているよりもたくさんのことが見え、そして耳に入ってきた。診察室ではけして見せない患者さんの姿がそこにあった。診療所では患者さんだが、診療所を一歩外に出ると、その人は患者さんではなく、一人の人間なのだ・・・医師も然り・・・。


 多職種連携を模索
 地域には身体的あるいは社会的問題をかかえた多くの人が生活している。障がいを持った人、脳卒中などで後遺症を抱えた人、認知症の人、悪性腫瘍の終末期、あるいは高齢者世帯(あるいは高齢者一人暮らし)など社会的な困難を抱えた人など。社会的資源の少ない山間農村地域でそのような人達を支えるためには、やはり多職種のネットワークが必要と感じている。医師一人では、支えることができないが、看護師、介護スタッフ、薬局、行政、家族、そしてご近所の方など多くの方の連携があってこそ地域で安心して生活することが可能である。
また、支えられる人達も「安全な」施設に入ることよりも「安心して」地域で生活することを希望される方が多いように思う。健康問題を抱えた人達の支援で必要なことは疾病を最小限にとどめておくこと、そしてそれ以外にも、疾病とは対極にある元気の部分を大きくする支援が必要と感じている。住み慣れた地域で安心して生活することが、何よりも元気のもととなっているように感じる。
 


 地域の人たちに支えられ
 診療所に赴任してしばらく経った頃、医師官舎の裏庭に、朝、畑で採れたばかりの野菜が置いてあった。患者さんからの届け物らしいが、誰が置いたのかわからない。見返りを求めない贈り物に、感謝の気持ちが伝わってきた。地域の人に、自分の存在を認めてもらえた、という嬉しさがこみあげてきた。
 永源寺に来ていろんなことを地域の皆さんに教えてもらった。地域のつながりや互いに支えあう気持ち、そして何より自分自身が地域の人達に支えられていると感じる。自分もこの地域でできることは何かと考えた時、医療を通じた「まちづくり」に貢献できればと思う。せっかくその地域に住むなら、自分にできることをその地域に還元したい、地域の人達の笑顔をもっと見てみたい。結果として、障がいを持った人も認知症の高齢者も子どもも、皆が互いに支えあい安心して生活できる地域になればと思う。
 大病院ではできないことでも、地域ならできることがあると信じている。

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当院の在宅医療について

   ここ19年間の実績をまとめました。      死亡診断書枚数   在宅患者さん人数   訪問診療・往診のべ回数 2005年    12           66          492 2006年    17           70          553 2007年...