2014年6月7日土曜日

お別れの時間を考える

在宅では多くの患者さんの臨終に立ち会ってきました。

在宅で診ている患者さんのなかでも「もうそろそろですから親戚の皆さんに集まってもらっておいてください」と伝えて、一番会いたそうな人(孫など)が帰って来るのを待っていたかのように息をひきとる人もあれば、皆さんが集まって、ふと全員がその部屋を離れた瞬間に息をひきとるような人もおられたり、科学的にはうまく説明できませんが「その人らしいな」という旅立ちをされる方がおられます。
でも、いずれの場合でもご家族も皆さん納得して最期を看取られているのです

それは在宅の場合、充分お別れの時間をもてているのが理由ではないでしょうか。

人生の最期には本人・家族にもお別れの時間が必要なのです。
全くお別れの時間がないまま旅立たれるような事故や災害、あるいは突然死といった場合には死を迎えたあとにお別れの時間があります。
一方で、息をひきとるまでに充分にお別れの時間がもてれば、前述したように納得のお別れになっているように思います。

ご本人にどのような最期を迎えたいか尋ねたり、医療者が家族とともに「何もしない」ということを確認する、そのような「死」をタブーにしない話し合いこそが、お別れの時間を共有しているのではないかと思っています。

人生には「生・老・病・死」があります。
「病」を治すことは医師の役割ですが、「老」や「死」と向き合い、そして寄り添うことも、もう一つの医師の役割だと考えています。

納得できる人生を送られるためにも、我々がお見送りしてきた人たちのこと、そして我々がお手伝いできることを皆さんに伝えさせていただきたいと思います。

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当地域の活動が南日本新聞に掲載されました

6月8日、鹿児島県の地方紙 南日本新聞さんに当地域の活動を紹介していただきました。 田舎の地域での細々とした活動ですが、地域だからできることを発信していければと思います。