2014年9月15日月曜日

ようなり

秋らしく過ごしやすい連休ですね。
永源寺には観光の人がたくさんこられているようです。

今日はちょっと違ったお話です。

死期が迫った人が最期を迎える前に、あたかも病気が治ったような様子を見せることをしばしば経験することがあります。
このようなことをこのあたりの地域の人達は、「ようなり」と言われます。

88歳になるSさんは、5年ほど前から認知症を患い、デイサービスやショートステイなどを利用されてきました。しかし、歳を重ねるごとに食欲がなくなり、寝ていることが多くなり、昨年秋ごろから訪問診療を行っていました。
介護が必要になる一方で家庭の事情などで在宅介護が難しくなり、家族さんと相談した結果、今年の1月から介護老人福祉施設(特別養護老人ホーム)に入所されました。
施設でも配置医師である私が主治医を継続させていただいておりましたが、8月の末頃からご飯が全く食べられなく、水分しか摂ることができなくなりました。そして9月に入ったころには水分もほとんど摂れないという日が続き、目を閉じてほとんど反応がない状態が続きました。

そんなある日、家族の方に「このままの状態だとあと1週間は難しいですね」とお話ししたところ、息子さんが「じゃあ、家に連れて帰ります。最期は家で息をひきとらせたあげたいのです。」と言われました。外泊では介護サービスが使えないので、退所手続きと在宅ケアマネ、ベッドの手配など迅速に動いていただき翌日の昼に家に帰ってこられました。

家に帰ってこられた日の夕方に訪問診療に伺いました。
施設では全く反応がなかったSさんですが、私が「診療所です~」声をかけると大きくうなづかれました。看護師が「家に帰ってこられてよかったね」と声をかけるとさらに目を大きく開けられニッコリされました。
この日の朝は水ようかんを一つペロリと食べられたそうです。

集まっておられた家族や親戚の方もSさんの様子に半信半疑の表情を浮かべておられましたが、私が「ようなり」かもしれませんね、と言うと納得されていました。
そして、その翌日の夜Sさんは息をひきとられました。
ご家族、親戚の皆さん、納得の大往生でした。


「ようなり」という言葉には、とうとうその時期が来たかという覚悟、まだ生きていてほしいという希望と最期の別れをしておかなければという迷い、様々な気持ちが込められているように思います。

年老いても、病になっても、最期まで自分らしく生きるために、今しかできないこと、今やらねばならないことがあります。高齢者を敬うことも忘れてはいけませんが、いつかは訪れる「老」や「死」からも目を背けてはいけない、そんな昔の人の想いが伝わってくる言葉。

私達はそのような先人の言葉を、次世代にきちんと伝えていかなければならない。
そんなことを考える敬老の日です。



2014年9月2日火曜日

認知症のおじいさんを支える

すっかり秋らしくなり、過ごしやすい季節となってきました。
患者さんも稲刈りに忙しいようで、今日はとても暇な外来でした。
皆さん健康でなによりです。

さて、9月になると夏休みの出来事を話してくださることが多くなっております。

症 例:80歳代 男性(Kさん)
疾 患:レビー小体型認知症
家 族:奥さんと二人暮らし、息子さん二人は近くに在住

幻聴や妄想があり、いつも「スピーカーからなにやら放送しよる」「夜中の12時になると窓を全開にしないと気がすまない」、そんなおじいちゃんです。
週3回のデイサービスも気分によって行ったり行かなかったり、と奥さんも大変です。

夏休みの後半になったある日、中学生と高校生の孫たちが遊びにきて「今日はおじいちゃんの面倒は私たちが看るから、おばあちゃん休んでおいで」と言ってくれていたそうです。
しかし、そこは子どもです。面倒をみるといっても一緒にしゃべったりテレビを見たり、それでもKさんはニコニコされていました。

夜になると孫達も眠くなってきて、夜中の12時にはテレビの前でスヤスヤと眠ってしまったようです

そして12時過ぎに起きてきたKさん、いつもなら家中の窓を開けて家中の明かりをつけられるそうなのですが、その日ばかりは居間で孫が寝ているのに気付いて、いつものように窓を開けることはせず、静かに孫に毛布をかけて、大声をだされることもなかったそうです。

いいぞ、孫(ちーちゃん)!

でもKさん、孫が帰った後はいつもの生活に戻られたそうです。

当院の在宅医療について

   ここ19年間の実績をまとめました。      死亡診断書枚数   在宅患者さん人数   訪問診療・往診のべ回数 2005年    12           66          492 2006年    17           70          553 2007年...