2012年7月31日火曜日

地域子ども会活動

昨日は、午後の予防接種外来終了後、地域の子ども会の皆と一緒に「とまれ」の足形マークをペンキで塗りました。

道路に黄色いペンキでペタペタ…

暑いけど、楽しく活動できました。
終わったあとは、「おっちゃんがおごったるわ〜」とジュースで買いに行きました。
まだまだ暑い夏休みです。
皆様、お身体と交通事故にはくれぐれもお気をつけください。

2012年7月28日土曜日

夏祭り

永源寺地区「2012 みんなの夏休み」が開催されました。

地域の方々による、手作りのお祭りです。

天気もよく、たくさんの方が来られていました。

2012年7月27日金曜日

2012年7月25日水曜日

2012年7月24日火曜日

夏休み

昨日は、小学校の夏期プール開放日「地区水泳」です。夏休み期間中の10日間を保護者と地域のボランティアさんが交替で送迎&監視当番をします。

夏休み初日の昨日は、我が家の当番ですので、午前外来終了後に私が出動しました。
(午後からの予防接種外来までには帰り、往診は患者さんにお願いして夕方に行くことにしました。)

診療以外にも、できるだけ地域の活動に参加したいと思い、皆さんに無理をお願いしております。

雲ですが、子ども達は元気です。いよいよ夏休み本番ですね。

2012年7月18日水曜日

梅雨明け

梅雨があけて、夏本番です。

今日は、東部出張診療でした。
奥永源寺は「暑いけど、爽やか」でした。

皆様、この夏は、避暑地として奥永源寺にお越し下さい。


2012年7月17日火曜日

「いじめ」はなくならないのか?

最近、「いじめ」報道を目にする機会が多くなってきた。

文部科学省によると、いじめの定義は「子どもが一定の人間関係のある者から、心理的・物理的攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」で、「いじめか否かの判断は、いじめられた子どもの立場に立って行うよう徹底させる」としている。

たしかに「いじめ」はよくない。
これだけの議論で、いいのだろうか?

思春期前の若年者の心は、不安定である。
自分を認めてくれない(と思っている)大人には、気持ちを打ち明けなかったり
意味もなく反抗したり
そして、他者よりも優位に立つことで、自分の存在価値を認めようとしたり

彼らに「いじめはよくない」「優しくしろ」と投げかけたところで伝わるだろうか?
もし、それが伝わったように感じたならば、それは、若者から刺々しさを奪ったか、若者たちがわかったふりをしているかどちらかではないだろうか?
当時の自分には、きっと伝わらなかっただろう・・・

しかし、今の自分の存在にとってはこの刺々しい時代が必要であった。
誰も「うまく」大人になっていく訳ではない。
大人の望んでいるように、人生は右肩上がりばかりじゃないんだ。
失敗したり、挫折を感じたり、後戻りをしたり、ときどき成功を体験し幸福感を感じた。
大きくしゃがまないと、高く跳ぶことができない。

そうした上で考える、彼らに与えるべきは「正当な競争の場」ではないだろうか。
一定のルールの下に競争の場を与え、(勝ち負けにかかわらず)自分の存在を認めることができれば 、自分のアイデンティティを感じ、相手の気持ちをわかることができるのではないだろうか。
例えば、スポーツにおいても共通のルールがあればこそ、危険なプレーを防ぎ、ゲームが終われば「ノーサイド」とお互いに健闘しあうことができる。

大人に必要な役割は、彼らと同じ方向を向き、彼らに「正当な競争の場を与えること」
その上で、彼らに伝えなければならない・・・

「いじめ」は、よくない。

皆、そうやって大人になっていくと信じている。

2012年7月13日金曜日

道しるべ

今日の往診中に見つけました。
「左 いせ」の道しるべ。

永源寺から伊勢までは、軽く100km以上あります。
昔の旅人はこれを見て伊勢を目指したのでしょう。

「かわいい子には旅させろ」 という言葉があります。旅に出ると自分の知らない世界があり、自分だけでは解決できないことに遭遇します。
解決する手段がわからないこともきっとあると思いますが、工夫が必要です。
旅先で人に頼る。
自分自身でなんとか解決する。
解決できなくても、自分自身が納得するように妥協する。
それ以外にも・・・云々。

今の世の中はとても便利になりました。
「すぐに」そして「なんでも」解決できることが当たり前の世界になっています。
しかし、世の中には「すぐに」「なんでも」解決できない問題もあります。
学校や会社での人間関係や恋愛、子育て、病気、、、
そんなときに、納得できずキレる人が多くなっているように思います。
そのようなことでは解決にはならないことを、大人の行動で子どもに示してやらなければならない。 
大人は子どもを見くびってはいけない。
子どもにはちゃんと考える力があります。
子どもは大人の振る舞いをよく見ています。

幸せというものは相手に存在を認めてもらって感じることができる気持ちだと思います。
子育てならば子どもの頑張りを評価すること。
このような大人になりたいと手本になること。
そんな道しるべが必要ではないかと思います。

多くを手出しする必要はない、口数少なくても、常に君と同じ方向を向いている。
大人はそんな道しるべであるべきだと教えてくれているようです。

2012年7月4日水曜日

99歳 希死念慮

希死念慮というのは「死にたいと願う気持ち」のことで、うつ病などのメンタルヘルスで注意しなくてはならない症状の一つです。

先日、99歳のおばあちゃん(Aさん)のところに往診に伺いました。

Aさんは、最近心臓の病気などで入院されていましたが先月退院されました。
退院前は畑に行ったりするほど元気だったのですが、退院されてからは外に出られることは少なくなりました。

私  :「家では何してますか?」
Aさん :「洗濯物をたたんだり、着替えたりは自分でしています。」
私  :「ご飯はおいしいですか?」
Aさん :「お嫁さんが美味しいものつくってくれます。」
私  :「困っていることはありませんか?」
Aさん :「前のように畑に行ったりできんようにようになりました。はよう参らしてほしいわ(はやく死にたい)」

この会話を聞いていた実習中の学生さんは、慌てた表情で「まだまだ大丈夫ですよ、死ぬなんていわないでください」と。

このおばあさん、本当に死にたいと思っているのでしょうか?

Aさんは、「早く死にたい」とおっしゃっていましたが、本当に死にたい訳ではないはずです。自分でも残された寿命がわずかであることは十分理解されているはずです。
しかし、その上で「早く死にたい」とおっしゃるのは、「死ぬ間際まで人(この場合は家族)にまで迷惑をかけたくない、できることなら最期まで元気な人生を送りたい。 」というのが本音ではないでしょうか。

私  :「大丈夫、お迎えがくるようになったら(死期が迫ったら)教えてあげるから、それまでは、頑張って働いてください。何かあったら連絡ください。」
Aさん :笑顔で「先生、ありがとう」

在宅では、病気を管理するよりも元気を引き出すことに重点をおいて診療しています。
Aさんとご家族の願いはただ一つ、最期まで家に居たい(居させてあげたい)ということだけです。

「早く死にたい」=希死念慮 ではなく、最期まで自分らしく人生を全うしたい。ただこれにつきるとおもいます。

それに対して保証を与えること=「いつでも連絡ください」と、伝えること。
これが、私の仕事と思っています。

当院の在宅医療について

   ここ19年間の実績をまとめました。      死亡診断書枚数   在宅患者さん人数   訪問診療・往診のべ回数 2005年    12           66          492 2006年    17           70          553 2007年...