年末年始は在宅の方も家でのんびりされていることが多いのですが、松の内も過ぎ普段どおりに往診に伺うようになりました。
在宅の方の正月というと、病気によっては落ち着かない気分で迎えられたり、もしかしたら最後の正月かもしれないと思いながら過ごすこともある人もおられます。言い換えると、正月を迎えて「生」と同時に、迎える「死」をも意識するということでしょうか。
しかし、そのような状況であっても一休和尚の言われているような「めでたくもなし」という気分の方はあまりおられないように思います。
先日、往診に伺ったのは昨年末からご飯が食べられなくなっている96歳のおばあちゃん(Kさん)は、いわゆる老衰に近い状態ですが、正月は家でのんびりと過ごされました。
Kさんも日毎に弱っておられ最近では目を閉じて眠っていることが多くなっています。正直年を越せるかどうか心配しておりましたが、正月は親戚一同おばあちゃんの周りでにぎやかにされていたようです。
誰にとっても、正月は「冥土の旅の一里塚」であるかもしれませんが、お互いの存在を確認することができ、ともに「生きている」ことを実感できる時間かとも思います。
おばあちゃんの家の玄関には紅白の南天が飾ってあり、普段どおりの正月の風景でした。
Kさんを含めて皆がいつもと同じように歳をとり、いつもと同じように迎えられた、いつもと同じめでたい正月だったようです。
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